コミュニケーションの量は、情報の非対称度で変わる
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コミュニケーションをうまく取るには、情報の非対称度を下げる必要がある。
お互いのことを良く知っておれば、相手に合わせて話すことが出来るし、お互いが持っている情報を出し合ってからの方が議論もしやすい。
非対称度を下げ情報の共有度が上がると、そのあとは一々説明しなくても話が伝わりやすくなるのだ。
学問や科学などで最初に、用語の定義をハッキリさせるのも、そのあとの議論を円滑にするためだろう。
もちろん、非対称度が低いとコミュニケーションの量が増えるのは、我々の日常生活でも良く体験することだ。
たとえば一緒に暮らしている家族や仲間で「醤油買ってきて」と言われれば、今使っている醤油のブランドとサイズと同じモノをいつものスーパーで買ってくればよいだろうし、「今日、遅くなる」と言えば、だいたい何時頃か推測もつく。
これは充分長い時間、一緒に生活することによって情報の共有が行われ、相手の消費や行動パターンが分かっているからだ。
しかし生活を共にしていない人に突然「醤油買ってきて」と言われても、メーカー名や商品名、容量や本数などは分からないし、どれくらいの値段で買えばよいかもわからない。
近くのスーパーで安売りしているからそれを買ってきてくれと言う意味なのか、高級醤油をデパートで買ってきてくれと言うのかもわからない。
また「今日、遅くなる」という連絡の場合も、あまり親しくない間柄では足りない情報になる。
「どのくらい遅くなるのか」「なぜ遅くなるのか」「食事は必要なのか」…などなど、いろんな情報を足さないと連絡を受けた方も困る。
このように、情報の非対称度が大きいと、それを埋めるためのコミュニケーションの量が増えて、何度も聞き返したり確かめたりする作業が必要になるわけだ。
つまり一般的には
- 情報の非対称度が大きい→コミュニケーションの量が増える
- 情報の非対称度が小さい→少ない量のコミュニケーションで足りる
ペリーはなぜ軍艦を率いてやってきたのか
情報の非対称度が大きいと、コミュニケーションが難しくなる。
相手と共有している情報でしか、スムーズに話すことが出来ないから、自由に話せる範囲が狭まるのだ。
たとえば家族内で通じる話であっても、隣近所では通じないことは多い。
隣近所で通じる話でも、隣町に行くと通じないということもある。
市内や県内では常識のような事でも、隣の市や隣の都道府県では、全く知られていない事も多い。
そして国や言葉や宗教が違えば、もう通じない方が当たり前で、そうなるともうコミュニケーションを取るのは至難の業だ。
なぜなら共有していない情報は一々説明しないといけないし、概念のような抽象的なモノはすぐには理解できず、コミュニケーションには時間も量も必要になるからだ。
ここまで来るともう実物をとにかく見せないと、話が進まない。
似たものを使って例えるという方法もあるが、似たものがないとどうしようもない。
だからアメリカのマシュー・ペリー大佐は、日本に開国を迫るために、わざわざ蒸気軍艦4隻を率いて来たわけだ。
これは日本人が見たことがない蒸気軍艦を見せることによって、進んだ欧米の技術を直感的に理解させる目的だったらしい。
ペリーは翌年、今度は7隻の軍艦を率いて再来日するが、その後も蒸気機関車の模型を持ってきたり、電信のデモンストレーションを行ったりして、欧米の科学技術を目に見える形で示して日本人に「進んだ西欧」のイメージを植え付けた。
そうして軍艦や科学技術を見せることによって、アメリカや西欧という概念をドーンと伝えて、そのあとのコミュニケーションをスムーズにしたわけである。