人生は、 言葉とコミュニケーションでできている

人生は、コミュニケーション力で決まる

 

というのも豊かな人生は、コミュニケーション無しには考えられないからだ。

 

人間という生き物は、この世に生まれ落ちた瞬間から、周囲の助け無しでは生きていけない。

 

たとえば赤ん坊や幼児の頃は、自分で食べることも、着替えることも出来ない。

 

だから泣いて親や大人とコミュニケーションを取って、食べ物をもらったり、おむつを替えてもらう。

 

物心がついて自由に走り回れるようになってからも、他の動物のように餌を取る力は殆どないから、大人とうまくコミュニケーションをとって、食べるモノや着るモノ、さらには安全を手に入れなければならない。

 

成長して大人になったら、さらに高度なコミュニケーション力が必要になっていく。

 

というのも人間社会には、たくさんの抽象的な概念やルールがあり、それらを体得しなければやっていけないからだ。

 

そのためには親や教師や様々な人との膨大なコミュニケーションが必要になる。

 

そしてまた、コミュニケーションが出来ないと、欲しいモノがだんだん手に入らなくなる。

 

赤ん坊の頃は、おなかが空いた、抱っこして欲しい、おむつを替えて欲しいなど、単純な欲求しか持たない。

 

だから、ただ泣いたり、ぐずったりという、非常に簡単なコミュニケーションだけで良かった。

 

しかし成長するに連れて、欲しいモノややりたいこともどんどん増えて行くし、抽象的になっていく。

 

お金が欲しい、美貌が欲しい、家族が欲しい、愛が欲しい。

 

こういうモノを手に入れるには、コミュニケーション無しではダメだ。

 

そこで、ここから人生は、大きく二つに分かれていくことになる。

 

すなわち、「人と対等に話すことが出来る人間」は、どんどん自分の欲しいモノを手に入れて、自分が望む、ストレスが少ない人生を送ることになる。

 

逆に「人に自分の意志を伝えられない人間」は、周囲にうまく自分のやりたいことが伝えられず、仲間や理解者なしに欲しいモノを手に入れなければならない。

 

仲間や理解者がいなければ、自分の望みを叶えるのは独力でやらざるをえないから、作業も膨大になるし、疲れ果ててしまう。

 

つまりコミュニケーション力があるかどうかで、自分の望む人生が送れるかどうかが決まるのである。

 


コミュニケーションとは

人生を左右する話し方、コミュニケーション術。

 

まずコミュニケーションという言葉の定義から、ハッキリさせておくことにしよう。

 

コミュニケーション(会話)とは、生物が互いの意志や感情、思考などを伝え合うことである。

 

「私は今からこうする」「私は今、こんな気分だ」「AはBだ」「CはDの方がよい」こういう内容のことを、伝え合うのがコミュニケーションである。

 

だから誰もいない場所で、何かをつぶやいたり怒鳴ってみても、それはコミュニケーションとは言わない。

 

何かを表現し、それに対して別の者が反応して、そこでようやくコミュニケーションというものが成立する。

 

犬が吠えたり、ネコが毛を逆立てて威嚇したりするのも、目の前の相手に対して何か行動させようとしているわけだが、相手がそれに対して何か反応すれば、コミュニケーションと言える。

 

しかし目の前の相手が気にも留めずに反応しなければ、相手にとってはただの雑音であり、コミュニケーションだとは言えないと言うことになる。

 

つまりコミュニケーションというのは、相手が反応してくれて初めて成立するもので、一方通行ではダメだと言うことだ。

 

ということでまず、相手に伝わる話し方について、考えていくことにしよう。

 

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